ハイジのやきもの

『ハイジのやきもの』 9/12

おじいさ~ん!ペータ~!ヨーゼフ~!

口笛は なっぜ~ 遠くっまできこえるの♪
あの雲はなっぜ~ わたーしを待ってるの♪ 
教~えておじいーさん 教~えてアルム~の 樅の木よ~♪

滋賀 八風窯の中根です。ということで見て来ました。
信楽陶芸の森でやってる『スイスの陶芸 ルネッサンスから現代まで』

おもしろかったです。ながく展覧会から足が遠のいてましたけど
4月は姫路で『エレキテルのやきもの』、6月は信楽『ルーシー・リー』
やっぱり、見なあかんね。刺激されます、初見のものは。

以下その展示会の要約と感想。時代感覚をつかむために同時代のニッポンのやきものを動きを書き加えました。この展示会には展示されていません。
スイスの陶芸作品ダけですからね。
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タイルストーブ(絵付け陶製タイルで構築した大型の暖房器具、デカイ天井まである)

イタリアのマジョリカ陶器(錫釉色絵陶器)が16世紀ルネッサンス以降、ヨーロッパ各地にひろがり、その影響で各地でファイアンス陶器とよばれる錫釉のかかった白色の軟質陶器が焼かれるようになったこと。日本では志野/織部/楽が焼かれてる。

スイス各地の17世紀からの各産地の特色、フランスに近い地域、ドイツに近い地域。伊万里が興ってはじめて磁器が焼かれ、京焼に仁清と乾山が出る。

ナポレオンの大陸封鎖で輸入できなくなってイギリス・ウエッジウッドを
模した品々(1810年の物なのにモダーン)。産業として、合理的なビジネスとしての各産地の変容。1878パリ万博でジャポニズムのブームがおこったけどスイスはその影響を受けなかったこと。産業革命の影響・・・。

後半のアールデコ/バウハウス/アバンギャルドの影響。
戦後の個人工房(スタジオ)の発展による現代陶芸。
・・・いずれも興味深い展示でした。

展示品の中でいちばんおもしろかったのが1778年にスイス中央部ベルン地方
エメン谷のラングナウというところの工房で作られた陶器の絵皿30cm径。

見込み中央に良いカンジの掻き落しで、手押し一輪車でやきものを市場に売りに行く陶工の姿が描かれてて淡い緑・黄・紫釉で着彩してある・・・、
絵を囲んで記されてる文字はこんなことわざ・・・

『陶工は土でしか働かないから貴族にはなれないよ。
 でも、土と知識でなんでもつくることができるんだ』

・・・なんかカンゲキでした。色使いが春に姫路で見た『源内焼』に似てる。
1778年は江戸明和七年。『源内焼』をつくった平賀源内がエレキテルで
大当たりをとってるころです。スイスのチューリッヒ窯ではエッチングを
転写プリントした品が工業的にさかんに焼かれている。
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この展示会は
      9/21(土)~11/24(日)愛知県陶磁資料館

      http://www.pref.aichi.jp/touji/index.html 
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ハイジのいた村はデルフリ村。最寄りの町はオーストリアに近い東部のマイエンフェルトです。『スイスの陶芸』の図録にはマイエンフェルトの名前は一度も出て来ません。この地域では陶磁器の生産は無かったようです。きっとドイツから来てたかな、町のお金持ちの家には。でも民窯はあったんやろね。

ヨハンナ・スピリの原作がでたのは1880年、産業革命が起ってスイスの陶器工場はフランス/ドイツ・・・の窯との国際競争でくるしい闘いをしてる頃です。

ハイジはアルムのおじいさんの小屋でやきものを使ってなかったよね?
おじいさんが作った木の器ばっかりでしたよね?
わかる人いますか?・・・いないやろなぁー。



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